夕暮と庚申塔

こんばんはー

今日も酷暑でしたねー


今日は息子と免許所の住所変更に行ってきました。

むわ〜!とした熱気と湿気でたまりませんでした


今日の絵は昨日描いておいた絵です

「夕暮」


その後、前から気になってた「石仏」のデジカメ撮りに行ってきました。

ついでにぐる〜と回って帰ってきたら、



稲荷神社があって

そこにも同じような石仏がお墓の入り口にありました。


帰ってきてからあれこれ調べてみたのです。

最初はお顔が削れてたのですが、細長かったので馬頭観音かと思ってぐぐってました。


どうも違うようなので、次の石仏の頭の上にあった梵字を調査。

「ウン」という降三世明王を表すもので、その線で調べてのですが、

何かを踏みつけているのは似ているのですが、手に持っているものがまるで違う。


あれこれしているうちに見つけたのが「庚申塔(塚)」でした

キーになったのは頭の左右にある日雲と月雲


庚申信仰とは、中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」をもとに、仏教とくに密教神道修験道・呪術的な医学や、日本の民間のさまざまな信仰や習俗などが複雑にからみあった複合信仰である。

庚申の日に禁忌(きんき)行事を中心とする信仰があり、日本には古く上代に体系的ではないが移入されたとされている。『入唐求法巡礼行』838年(承和5年)11月26日の条に〈夜、人みな睡らず。本国正月庚中の夜と同じ〉とあり、おそらく8世紀末には「守庚申(しゅこうしん)」と呼ばれる行事が始まっていたと思われる。すなわち守庚申とは、庚申の夜には謹慎して眠らずに過ごすという行いである。

とある。

庚申塔(こうしんとう)は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多い。塚の上に石塔を建てることから庚申塚、塔の建立に際して供養を伴ったことから庚申供養塔とも呼ばれる。

庚申講(庚申待ち)とは、人間の体内にいるという三尸虫という虫が、寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くのを防ぐため、庚申の日に夜通し眠らないで天帝や猿田彦青面金剛を祀って宴会などをする風習である。

庚申塔の石形や彫られる神像、文字などはさまざまであるが、申は干支で猿に例えられるから、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を彫り、村の名前や庚申講員の氏名を記したものが多い。同様の理由で庚申の祭神が神道では猿田彦神とされ、猿田彦神が彫られることもある。また、猿田彦神道祖神とも信仰されるため、庚申信仰道祖神信仰とも結びつくこととなった。さらに仏教では、庚申の本尊は青面金剛とされるため、青面金剛が彫られることもある。


とあります


太陽、月、剣、弓矢、宝輪、踏みつけられた悪鬼、三猿などがぴったり当てはまります。

庚申講の記念碑的なものが本来ですから、お寺などに大きく名前も彫って建立されるものです。

私の撮ってきたものは、ひどく土俗的で、個人的な感じが強いものでした。


なお、ネットには越谷の石仏とともに庚申塔を調べたものがあったので、比較的普及していた地域なのかもしれません。


うゎ!長くなりましたね

庚申塔などの写真はまた明日にでも・・・

ではまたねー