<子ども>のための哲学
こんばんは。
今日も絵が描けてなくてすみません(展覧会なのにね)
(あ、本の展覧会かwww)
<子ども>のための哲学 永井均
- 作者: 永井均
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1996/05/20
- メディア: 新書
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タイトルから子ども(幼児)に読ませるような簡単な哲学書とか倫理学書だと思って読んだらとんでもない、難解でていねいに書かれた本格的な(この表現も微妙だけど)一冊でした。
大きく二つの問いについて、永井さんが一人語りのように書き進めてあります。
第一の問い「なぜぼくは存在するのか」
第二の問い「なぜ悪いことをしてはいけないのか」
そもそものこの問題の真の意味の説明がいまでも理解できないままです。
自己意識とか自我でない、だけど世界を形作っている<ぼく>という<奇跡>の意味もぼんやりともつかめないままに読み進めました。
認識論的独我論くらいかな少し、いやぼんやりとかな、つかめた気になったのは。
利己主義ってのは何となくわかったのですが・・・
つまり、ほとんど理解できないままにいたということです。
正直言って読むのをやめようかと思ったのですが、その結末が見たかったからと、第一の問いの中で心に引っ掛かっていた一つの確信めいていたものがあったからです。
“「個別化された脱人格的自我」これに似た普通の言葉を探すとしたら何だろうか。”
“正解はもちろん“魂”もしくは“霊魂”だ”(P84から)
この一言に巡り合えただけでも読んでてよかったと思う。
でも、それがすべての答えではありえない。
なぜなら、「他人」の魂と<ぼく>の魂と違っているわけが説明されてないからで、結局独我論に戻ってしまうという堂々巡りなのだ(詳しいことは本を読んでください)
この世の中には「子ども」の哲学、「青年」の「大人」の、そして「老人」の哲学とカテゴライズされるらしい。
「子ども」は「存在」を問い、「青年」は「人生(生きる)」を、「大人」の課題は「社会」であり、「老人」の哲学の究極課題は「死」であるらしい。
なので、今までの日本の哲学は「青年」の哲学を進んできたらしい。
思うに哲学ってのは大きく「宗教」とも重なるような気がする。
ともかく、二つの問題について小さいころから考え歩んできた思考を懇切丁寧に紹介しながら、語りかけるような文体でじっくり深く書いている哲学書です。
子どもに読んで聞かせるには深すぎるが、たまにはじっくりと考えてみたい問題ではありますね。
ぜひ一読を。
ではまたね。