帰省

父が入院した。


それも入院したのは5月末で、すでに1週間が過ぎている。

ようやくわかったのは、母がようやく連絡を取ってきたからだ。


「熱が下がらへん」

そう言って電話してきた。


4月末に8度後半の熱を出し、一度下がったがまた高熱を出したので、救急搬送したのだそうな。

その後、どうしても下がってくれないらしい。


「今回はあかんかもしれん・・・」

いつになく弱気な言葉が漏れる。


「顔見せに帰ってきとくようにしてな」

よっぽど覚悟の電話だったのだろう。こんなことを言う母ではないのだけれども。


5日、帰省する。

直接病院に向かって、父の病室に入ると、

「おう、来たんか」

弱弱しい中にうれしさがこもった父の声が聞こえた。しわくちゃで小さな目が喜んでいた。


思いのほか元気で、食事も食が相変わらず細いながらも食べていたので安心した。

最悪は避けられたと思った。


病室は個室になっていたので母のでかい声での会話とか、父のわがままなども融通がきけてよかった。



母は毎日泊り込みしている。

1時のバスで帰ってきて家まで長い坂を登り、洗濯をして家事をこなしてまた風呂に入り、また5時半のバスで病人に向かうのである。


9日、担当医から症状その他についての説明を聞くことができた。

それによると、病名は「尿路感染と肺炎」


しかもそれは入院当初のもので、検査結果、その後に「MRSA(メシチリン耐性黄色ブドウ球菌)」が検出されたとの事。

しかも、後期高齢者にとっては致命的な数値で。


これは院内感染とかで、よく取り立たされる菌である。隔離されてないのが不思議なくらいだ。

自宅での尿管取替え時に何かあったのではないかと思うのだが・・・なんともいえない。



なのでまあ、4日からバンコマイシンを投与中とのことを説明を受ける。

ただ、これが効いてきてるのかわからないが、熱は少し下がってきてはいるので期待したい。


食事のこととか、熱のこととかあるが、心筋梗塞を2回やった83歳にとって今の状態は非常によいと思うとの事。



5日間、母の愚痴ともつかない話と、父の顔を見ながらすごしてきた。

まだ、回復したわけでなく、バンコマイシンが効いてというのに2週間はかかるとのことなので、いったん帰ってきたのだ。


また20日過ぎに連絡をもらって再度帰省する予定でいる。


元気でいてほしいな、父も母も・・・